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織田信長は好き?~浅井長政のドクロ杯~(2)

読了までの目安時間:約 2分

さて、信長が死も覚悟したであろう、

有名な「金ケ崎の退き口」に話は戻る。

 

1970年、京を出た信長は、妹婿の浅井の領地(近江)を通って、

岐阜へ戻ると見せかけて、朝倉義景を討つべく越前に攻め入った。

ところが、申し合わせたように、浅井長政が裏切って挙兵。

信長は、朝倉軍と浅井軍との挟撃にあう。

 

 

ちなみに、この「金ケ崎」では、

信長、秀吉、家康の戦国3大英雄が揃い踏みだ。

 

家康はこうした信長の不用心を間近でみていた。

後年、他山の石として用心深いことこの上ない。

まだ先の話だが。

 

さて、信長はここは「逃げの一手」とばかりに

殿軍(しんがり)に秀吉を置いて、全軍を残し、

少人数の供だけで、逃げ切った。

 

1970年6月、体制を整えて信長はうってでた

姉川の戦いである。信長は戦には勝利するが、

長政にとどめをさすことはできなかった。

逆に、1970年9月、浅井朝倉軍に、

本願寺、延暦寺、一向宗徒が味方し、

信長包囲網が完成する。

(一年後の9月、延暦寺は「比叡山焼き討ち」にあう)

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