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1) 浅井長政のドクロ杯
ドクロ杯は古くからの習慣であり、信長の独創ではない。
「薄濃(はくだみ)」といい、ドクロを漆塗りして金粉をまぶしたものだ。
実妹「お市」の婿(むこ)である、浅井長政。
その離反から3年に渡る戦(いくさ)の末、長政を討ち取ると、
信長は長政のドクロ杯を肴に新年祝賀会を催したと伝えられる
ここだけを見ると、信長が異常者にみえるかもしれない。
だが、先に裏切ったのは浅井長政のほうだ。
信長はむしろ「お人好し」といっていいくらい長政を信用していた。
信長は少数の供と長政の佐和山城に宿泊することもあった。
長政がその気なら、信長を討つチャンスはいくらでもあったのだ。
長政が好人物だったという伝えもある、真面目過ぎるほど。
お市との夫婦仲も良い。
その娘は、茶々、初、督(江)。
この3姉妹によって、ある意味、浅井の血は、
信長、秀吉、家康の3治世にわたり、
一番生き残った遺伝子だといえよう。
だが、真面目過ぎる故に、正当な権威である
将軍足利義昭の上洛のために、織田家と婚姻同盟を結び、
信長に虐げられていた義昭の「御教書(みぎょうしょ)」
(将軍からの命令書)により、信長を裏切ったのかもしれない。
信長に信頼されていたのに、将軍権威の正当性を前に裏切る…
明智光秀にも通ずるものを感じてしまう。