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さて、信長が死も覚悟したであろう、
有名な「金ケ崎の退き口」に話は戻る。
1970年、京を出た信長は、妹婿の浅井の領地(近江)を通って、
岐阜へ戻ると見せかけて、朝倉義景を討つべく越前に攻め入った。
ところが、申し合わせたように、浅井長政が裏切って挙兵。
信長は、朝倉軍と浅井軍との挟撃にあう。
ちなみに、この「金ケ崎」では、
信長、秀吉、家康の戦国3大英雄が揃い踏みだ。
家康はこうした信長の不用心を間近でみていた。
後年、他山の石として用心深いことこの上ない。
まだ先の話だが。
さて、信長はここは「逃げの一手」とばかりに
殿軍(しんがり)に秀吉を置いて、全軍を残し、
少人数の供だけで、逃げ切った。
1970年6月、体制を整えて信長はうってでた
姉川の戦いである。信長は戦には勝利するが、
長政にとどめをさすことはできなかった。
逆に、1970年9月、浅井朝倉軍に、
本願寺、延暦寺、一向宗徒が味方し、
信長包囲網が完成する。
(一年後の9月、延暦寺は「比叡山焼き討ち」にあう)